1+1=2である.それは大体の常識的な場合においていつもそうである.だが,実用的には,計算の目的は,計量にあるだろう.500mlの水を2杯足すことを考える.500mlの計量カップに水を注ぎ,1つの容器に2杯分を合わせて1Lとするだろう.しかし,計量カップに注いだ水は精密に500mlである確率は小さい.例えばおそらくは495mlと503mlを足して1Lとしている.物理的に計量する場合は,正確な値で結果を得ることは難しい.そこで,計算の本質は範囲にあると考える.先の計量は「確率70%で1Lである」といったふうに考えるのである.実際に同じような計量を何度も行い,正確な量を頻度で表せば,正規曲線のような分布を得るだろう.そしておそらくその頂点が,今回の計量で期待する「1L」になっているだろう.「1+1=」の解は数の上でいつも正確に「2」であり,数直線的な意味で1点を指すけれども,計量の場合には1杯と1杯の和は統計的な意味で「ほぼ2杯分である」に過ぎない.つまり,計算とは本質的に範囲であり,数の上での計算は「確率1の空間」での結果に他ならないといえる.
エジソン代数は,筆者が2010年代に考えた演算系である.命名は「泥団子に泥団子を足しても泥団子だ」と言ったエジソン少年の逸話に由来する.この演算系では,数直線的な点による演算に限定しないので「1+1」が必ずしも「2」にならなくて良い.例えば「石灰石に塩酸を足したとき何種類の物質ができるか」という命題では,演算自体は「1種類+1種類」であるにもかかわらず,二酸化炭素と水と塩化カルシウムという3種類の物質が生成するので「3種類」という答えになる.しかし,上に述べたように計量するとなれば,話はやや広がる.反応の途中で計量したなら,3種類の物質の他に生成した水素イオンやカルシウムイオン,塩化物イオンなどイオン状態の物質も得られるから,解は6種類を超える.すなわち,命題の解はある範囲を持つ.この性質をエジソン代数の「範囲解」という.エジソン代数の解が1点に収まる場合とは,通常の代数系と同値であり,範囲解を持つエジソン代数は,通常の代数系の拡張である.では,エジソン代数の範囲解にはどのような性質があるのだろうか.
結論を述べれば,先述したように,範囲解は統計的分布を持つと考えられる.すなわち,ある値である確率がこれこれ,という連続した分布を持つことが考えられる.ここで,各解には確率が対応するところが重要である.5+3=[4…9]というエジソン代数系の式において,これは解が4から9の間に収まるという記法であるが,4から9のどの値を取るかといえば,4から9の範囲において連続した分布を取る.計算対象によっては離散的な分布と考えても良いだろう.つまり,計算の結果がある範囲内に収まるエジソン代数の性質は,通常の代数系の性質の拡張である,すなわち,計算の結果とはある範囲に収まるものなのであり,通常のように解の値が点的に求まる代数系は,解の範囲が1点に収斂したものであると言える.その「求解収斂性」には微分における「収束」のような計算を想定しても良いかもしれないし,複素平面における「実軸上の直線」を仮定しても良いかもしれない.類似の構造は現代までの数学を探せばいくつか見つかるだろう.
本稿では,計算の本質が範囲であることを述べ,ある値に収まる確率が解の収斂性を表すことになると論じた.ここで数学実験として考えてみたいのは,群論である.通常の代数系において群論は「収斂した空間」を前提していた.群の公理でさえ収斂した空間におけるものである.するとつまり,エジソン代数によって群論は拡張可能となる.解の範囲を常に考慮することで,収斂した空間における幾つかの公理は破綻しうる.その代わりに,加算によって混ぜ合わせられた演算対象が織りなす解の分布によって,幾つかの公理は融和し,ひとつのプランに乗った公理系をなし,演算結果は常に統計的分布を持つ概数的関係を持たされる.この足場によって,確率に基づいて数学を再構築する「確率群論」を考えることが可能になるだろう.演算がより柔らかくおおらかなものになりうるだろう.そんな展望をもって本稿を閉じたいと思う.